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はじめに。


娘が生まれたばかりの頃、「今が一番かわいい時期だね」とよく言われた。

怖いことを言うのはよして欲しいと強く思った。

私にとっては、想像以上の責任の大きさと寝不足による疲労で、その「今」が一番辛く、ただただ早く大きくなって欲しいと思っていた。

「歩き出したら大変」「イヤイヤ期」「魔の二歳児」「悪魔の三歳児」・・・胃もたれ思想だった。

知って防げるものなら知りたいが、防げないのなら何も知らずに「おいおいどうした娘!?」と思っていたい。

対策を知ったからと言って、「ははーん。ついにきたねイヤイヤ期。お手並み拝見。しかしこっちにも対策がないわけじゃないよ!」てな具合に対応できるとは思わないのだ。

育児が大変なこと、仕事との両立がキツいこと、これらのことを出産前に知っておいて良かったなぁと思ったことはなかった。

一つ一つ答え合わせのように、本当にそうだな、と淡々とした現実として、失望にも似たような感情で実感していくだけだった。

産後鬱度チェックを試してみて「当てはまっている・・!」と驚愕しさらに鬱々としてみたり、噂に聞いていた一通りの落ち込みを体験してみた。

娘が生まれて祖父母が笑ったり、夫が家事をするようになったり、こんなに小さいのにいびきをかくんだ・・・と知ったり、食事と排泄を同時に出来るんだ・・と知ったり、幸せなこと、面白いことが沢山あったはずなのに見えなくなっていった。

だから、過剰な事前調査はやめた。

さっきから窓の傍で鼻を垂らして、外のスズメを眺めている小さき生命体。

その小さき者の今後に恐れおののくよりも、今は一緒にスズメを眺めるふりをしながら、娘の無防備な横顔を愛でようと思う。

どうせ3分と経たないうちに飽きて泣き出すのだろう。

イライラするときはイライラする。可愛い時は可愛い。

学生時代だって学業と部活の両立なんか出来なかった。

独り身の時ですら家事と仕事の両立なんか出来なかった。

おしゃれだって、元からそんなにしてた方ではない。

何も娘を産んだから出来ないわけじゃない。

全部今に始まったことじゃない。

娘がいなかったらキラキラした自分になれるわけではない。

娘がいるから、ボロボロでも毎日「生きている」という感じがする。

それに私の場合は実際そんな頑張っていないからボロボロになるまではまだ伸びしろがある。

立派な母親だと思われたいのは、娘にではなく世間にだった。

私はもう、娘が私と一緒にいる時に安堵を覚えてくれればそれでいい。

ママの大事なノートで謳っている「何でもないこんなにも面倒で愛おしい日常」

とは、こういったごちゃごちゃした感情や日々で成り立っている。

今は悪くない。

よく見ると、自分の家の芝生も隣の家の芝生も意外と普通だったりする。

ほどよくやり、ほどよく満足しろ自分。

肩の力を抜いて格好つけずに生きていきたいという思いを込めて発行している。


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